小学部だより

小学部だより 2024年 春休み号
小学部だより
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
(ヨハネによる福音書13章34節)
〜愛するとは赦すこと〜
イエスは十字架にかけられる前日。エルサレムの2階部屋で弟子たちの足を洗い、そして弟子たちにパンを割いて与え、一つの杯からぶどう酒を弟子たちと分かち合いました。「洗足の木曜日」「最後の晩餐」の場面です。そして「この中に私を裏切ろうとしている者がいる」という衝撃の事実を伝えたあと、動揺する弟子たちに向かって「あなたがたに新しい掟を与える」と仰いました。社会的な存在として生きる人間にとって「掟」というのは決まりや規則よりもさらに上位の守るべきもの、という考え方があります。十字架という重大発表、自らの死の予告の中で、いわば遺言として語られた言葉が「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」というメッセージです。
「互いに愛し合いなさい」は、追分の夏期学校で毎年、主題聖句として用いられる聖句です。
かつてフランシスコ・ザビエルをはじめとする宣教師らによって、キリスト教が日本に伝えられた1600年ごろ、当時の聖書翻訳者は「神を愛する」という言葉を『万時にこえてデウスをご大切に思ひ奉る事』と記しました。神を愛することを「大切」に「ご」をつけて「ご大切に」と教えました。
聖書では福音書だけでなく、使徒言行録やパウロ書簡などでもイエスの残した遺言、掟としてこの「互いに愛し合いなさい」というフレーズが繰り返し何度も登場します。神さまと隣人を大切にする。まさに「敬神奉仕」ということですが、私は「愛する」ということは「大切にする」という意味だけでは足りない、もう一つ別の意味があるのではないかと思い至っています。
それは「赦す」ということです。十字架の死と復活の遺言である「互いに愛し合いなさい」とは、すなわち「赦し」「赦されている」私たちへの言葉であることを心に留めたいと思います。イエスは弟子たちに7の70倍まで赦しなさい、と説かれました。また、保身のために裏切り、怯え、身を隠した弟子たちの前に、復活のイエスは現れて、非難の言葉ではなく「シャローム」(あなたがたに平和があるように)と両手を広げて赦し、受容されました。
他人の目のおがくずが気になるのに、自身の丸太には無頓着である。そのような私たちが他者を受け入れ、赦し合うことができた時。ほんの少しだけ、ワンステップでも、「敬神奉仕」の生き方に近づくことができるのではないでしょうか。
復活日・イースターまでのレントの期間、「愛するとは赦すこと」ということを心に留めたいと思います。子どもたちはこれから新しくされる人として、新しい進路、学年、クラスへと進みます。これからも神さまがいつも見守り、お支えくださいますように祈ります。
ご卒業おめでとうございます。感謝。
小学部長 𠮷田太郎
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2年生 読書の授業
スギヤマカナヨさん(作家)

3年生 社会科(英和の歴史)
山本香織 元小学部長

3年生 社会科(英和の歴史)
藤間春素娥先生
〜5年生 社会科見学〜
JFEスチール・加曽利貝塚へ

