小学部だより
小学部だより 2024年7月号
小学部だより
「願い」と「祈り」
「神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、
小さな方に夜を治めさせられた。」(創世記 1章16節)
例年よりも梅雨入りが遅れた2024年。気がつけば6月も終わり、今年も残り半分となりました。夏風邪のように湿気に強いタイプのコロナウィルスが依然として流行しており、ポツポツと罹患者が続いています。人混みでのマスク着用、手洗いやうがいの励行など、感染症予防の基本を今一度、見直しましょう。そして早寝早起き、栄養と睡眠、ストレスを溜めない。といったことも心がけていきたいと思います。
さて、7月といえば七夕ですね。日本一の七夕祭りとして有名な『仙台七夕まつり』は伊達政宗公の時代から続くお祭りで毎年200万人近くの来場者で賑わいます。この七夕イベントは8月6日から8日に開催されるのですが、その理由を調べてみますと新暦と旧暦の間をとって、8月7日に定められたという説もあるとのこと。また、お盆と稲刈りの両方に由来して始められたそうです。
7月7日の七夕は、子どもたちが思い思いに七夕笹に願い事を書いた短冊を飾る光景が、なんとも微笑ましい日本の年中行事の一つです。「Nintendo Switchがもらえますように。」「背が高くなりますように。」「逆上がりができるようになりますように。」「ママがやさしくなりますように!」などなど、短冊に書かれた願い事は様々です。おおよそ小さな子どもたちの願い事は微笑ましいものが多いものです。
ところで、七夕飾りは東洋英和の小学部では、これまであまり行ってこなかったと聞きました。理由はいろいろあったのでしょう。目に見えない神さまではなく、織姫と彦星、中国の民話をもとにしたお祭りで、神さま以外に願い事をするのは不適切。そういう考え方もあったのかも知れません。どちらが良い、悪いではなく、このテーマについて、私なりに改めて考えてみました。そもそも、七夕の短冊に書かれるものは「願い事」であって、自分の願望や欲しいもの、やりたいこと、なりたいものです。それは「願い」であって「祈り」ではない。よって、キリスト教とは抵触しないし、関わりがないのだから、七夕を伝統行事として普通に楽しんだらいいんじゃないか。ということに思い至りました。「願い」と「祈り」には、自分の無邪気な願望とイエス・キリストの御名を通しての祈りという違いがあります。私たちが祈る時、神さまの御心に適った祈りであるだろうか、自省を込めて神さまが創造された星に願いと祈りを捧げてみてはいかがでしょう。
小学部長 𠮷田太郎