小学部だより

小学部だより 2024年9月号

小学部だより

災間に生きる


「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」

(ローマの信徒への手紙12章15節)


この夏、私は三つの「被災地」を訪れました。一つは熊本地震(2016年4月)により被災した熊本。城壁の石垣が崩落し、ジェンガのような有様は今でも記憶に新しいことでしょう。完全復旧までは20年かかるとも言われた熊本城は、各方面の技術、叡智を集めた修復工事によって、今では天守閣まで観光客が登ることができるようになり、歴史展示も充実し、まさに難攻不落の名城が甦りつつあります。また地震による被害の大きかった益城町や土砂崩れにより崩落した阿蘇大橋、東海大学キャンパス跡地にも足を運び、活断層による大地の割れ目、隆起など、大地震による生々しい傷跡を目にしました。
また、熊本では人吉・球磨村での豪雨災害(2020年7月)の現場となった球磨村町役場、入所者14名が犠牲となった特別養護老人ホーム「千寿園」の跡地にも伺い、災害発生時に陣頭指揮をとった防災管理官の方から当時の緊迫した状況、判断の難しさ、想定外の災害への対応についてお話を伺うことができました。うだるような猛暑、まさに「火の国」熊本で、被災現場に立ち、被災された方と共に避難所運営や復旧への取り組みを続けて来られた方々の言葉はどれも重く、心に刻まれました。
そして、いまだに復旧が大幅に遅れていると言われる能登半島にもようやく伺うことができました。金沢駅までは新幹線で2時間半。ちょうど実家の京都へ帰るくらいの距離感でしたが、能登半島へはそこから車でさらに数時間。被災現場を訪ね、お話を聞こうとすると、到底一泊二日では先端の珠洲までは辿り着けません。金沢から穴水町へと能登半島を縦断する「のと里山海道」は1月の地震により寸断されていましたが、ようやく被災現場へのルートが確保されています。それでも能登半島の復興復旧のペースは東日本大震災の東北や熊本地震と比べても、かなり遅いと感じざるを得ませんでした。「能登への不要不急の移動は控えてください」「現在、個人のボランティアは受け付けていません」という、石川県知事のSNSでの発信もその要因の一つではなかったかと推察していました。ただ、現場を見れば、唯一の高速道路が寸断されている状況で、全国からボランティアが殺到すると、大混乱となることは必至。そういった事情もよくわかるのですが、X(旧ツイッター)での発信となると文字数制限、言葉足らずは否めません。
南海トラフ地震への危機感が高まったこの夏。台風による風水害など、東京においても自然災害への備えはこれまで以上に重要となっています。「災害は忘れた頃にやってくる」というのが、今では「忘れる前に、もうすぐそこに迫っている」という時代。「災間に生きる」私たち。子どもたちの命をお預かりする学校ですから、常にリスクマネージメントのスイッチをオンにしていなければと肝に銘じる夏の報告でした。

小学部長 𠮷田太郎

 

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